コラム

母の日は過ぎたけど…伝えられない感謝をブログに綴る

5月12日が母の日というのを今日知った。今年32歳になるにも関わらず、母の日に鈍感だった。

Twitterを見ていたらTLにプロモーションでこういう内容が表示され、そこから親のことを思い出し、12日って母の日だったんだなと気付きました。

なぜかわからないですが、このプロモーションを見た瞬間に気付いたときにはブログを記そうと、そんな思いに駆られたので、何の準備もなく書きます。

本来、母の日にはちゃんと感謝の気持ちを直接伝えたり、カーネーション1つでも渡すのが定番なんだと思うんですが、今までそんなことをした経験もなく、どこか恥ずかしいという思いもありました。

たまたま、ブログという媒体を持っていたり、文字を扱う仕事をしているということもあり、良い機会として普段母親には直接伝えられない想いを綴っていこうと思います。

※ここでは正直に過去の自分の背景みたいなものをいくつか書きました。読んで気分を害される方もいるかもしれません。その点はご容赦ください。

子供は何歳になっても子供

私はまだ独身の為、何とも言えないですが、子を持つ親なら誰もが『子供は何歳になっても子供という想い』があると思います。

30歳を超える私にさえ、未だにインスタント食品や野菜ジュースなどの仕送りが届きます。ある意味、安否確認のつもりもあるかもしれないですが。。

今でこそ母親や父親には感謝の想いしかありません。自分が子供のころには考えられないことでした。

「何でこんな自分にいつまでも愛情を諦めずに注いでくれるんだろう?」

そう思う理由には、自分の過去が酷すぎることがありました。

定番中の定番なろくでもない10代

皆の周りや、本などでも見たことがあるかもしれないですが、学生時代にはいわゆる道を踏み外す奴がいますよね。文字通り、私は本当にどうしようもない少年でした。

小学生の頃には野球に打ち込み、大阪代表に選ばれたり、順風満帆。

しかし、中学に入り、野球を挫折し、案の定良くない道へ進み始めます。高校も数ヶ月で退学。私学だったので相当無駄なお金を使わせたなと今になって心から申し訳ないと思います。

誰もが見れるブログなので、細かいことは書けないですが、”非行”に入るものはほとんど経験したと思います。

当然、何度も警察のお世話になるし、某施設にも入ることになったり。家に電話がかかってくるのはだいたい警察から。

少年だったころの責任は全て親に行きます。時系列は曖昧ですが、その頃くらいには

「アンタがこれ以上悪さするならアンタを殺して私も死ぬ!」

と言われる始末。なかなか衝撃的な言葉だったかもしれないけど、その時の自分には何一つ響くことはありませんでした。

祖父母にさえ近寄ってほしくないと思われる存在

中学生時代なんてアルバイトをすることもできないので、お金がない。でも、おしゃれもしたいし、タバコ代もかかる。

よく自分の姉が近所に住んでいるばあちゃん(祖父母)のところでお小遣いをもらっていたので、自分ももらいに行こうと思い、ばあちゃんの家へ行きました。

「5,000円あげるから今日はもうこれで帰って」

小遣いをもらいに行ったのはその日が初めてだったのに、何でそんな言い方をするんだろう?と不思議に思いながら、「ラッキー」と感じていました。

しかし、家へ帰って母親からこう言われました。

「ばあちゃん、アンタの事怖がってるから二度と近寄らせんといてって言ってたで。」

当時、子供が親を殺してしまう事件が地元であったり、他の地域でもよくニュースで取り上げられている時期だった為、ばあちゃんはそのことに対して恐怖心もあったと。

今にして振り返ると、どんな危ないやつって思われてんねんって感じですが、当時のばあちゃんからそう思われていたほど、クズだったってことなんでしょうね。

その時を最後に、ばあちゃと話すこともなく、最期は7年前くらいに末期の癌でICUの病棟の中、意識がない状態で声をかけたのが最後でした。

当時の自分を振り返ると、取り返しがつかない程、後悔しています。当然、膝から崩れ落ちるほど、涙を流しました。

やっぱ社会の敷かれたレールなんて面白くねーよなー

今となっては最大の後悔となっていますが、当時15.6歳の自分には人のありがたみなんて友情くらいしか感じませんでした。

ちょっとTwitterでも話題になっていましたが、誰もが一度は『敷かれたレール』を進むか、進まないか、を考える時期もあったかと思います。

小学生YouTuberの流れだったかな?

当然、すでに道を踏み外している当時の自分にとってこれは最大に都合の良い言葉で、まさに正当化している状態。

あとは金さえあればおいしい思いができるで、としか思ってなかったです。

本当に金がない家だった

そろそろ情報商材売るんじゃない?レベルの話になってきますが、自分の家は本当に貧乏でした。

15.6歳くらいに「タバコを買う金ほしいなー」とか思いながら、実家のタンスを開けてみたらまさかの『免責決定通知書』。当時言葉の意味はわからなかったですが、書いている内容は自己破産の内容でした。

父親が自己破産をしていたのです。

私が小学生や中学生前半の時代の父親は、単身赴任で東京へ行っており、月に1度帰ってくるか帰ってこないか程度。やっと転勤が終わり大阪に帰ってきたと思ったら、まさかのリストラでした。

それが知られる前のある日、父親が

「仕事行ってくるわ~」

と家を出ていき、その1時間後くらいに自分が遊びに出かけた時、駅前の公園に父親がいたことも。

「え?仕事は?」

「今休憩中。」

何の疑いもなくその時は過ごしましたが、その後に『免責決定通知書』の発見。それを母親に問いただすと、「隠しててゴメンね。リストラされてそこから苦しくて。」の一言。

そう言えば、高校の公立受験に落ち、滑り止めで受けた私学へ行くって決めたときに、「何があるかわからんから、卒業できるかわからへんぞ。」と言われたことがあり、その時は母親が「子供に何言ってんの!」と強く制止していたのはそういう意味だったのかと。

書いている途中ながら、漫画レベルの話だなーと思います。

そんな状況でさえ、他人事のように感じ、変わらずクズみたいな生活を送っていました。

今思えば、母親はスーパーのパン屋さんで働いていた時、頻繁にパンを持って帰ってきたりしていたので、子供にお腹を空かせたくない!って思ってたんだなと。そういった状況が今になるとよく思い出されます。

それでも離婚せず子供を育ててくれた

この話は、全てが今思えば、って感じの内容で、当時の自分からすると何とも思わないことばかりでした。

母親として何の落ち度もない親。離婚して気楽になった方が良いんじゃないかとさえ思う程です。でもそれをせず、自分や姉に対して一切負担をかけたくない、混乱させたくないという思いから、ここまで育ててくれた母親。

ずっと世間的に悪なことばかりをしていた少年時代の自分に、「アンタも殺して私も死ぬ!」と言いながらも、某施設へ入った時に欠かさず面会に来てくれたり、ずっと諦めずに向き合ってくれたり、今でも仕送りを続けてくれる母親。

なぜ自分(母親)のことを犠牲にしてまで、こんな子供に対して諦めず、愛情を注いでくれたんだろうか。そんな事は恥ずかしくて聞くことはできません。

新しい事業の為に会社を登記する話をした時も「アンタまだ何か悪いこと考えてるんちゃう?」と疑われるくらいにはクズです。

見栄を張る事ではないけど、今では逆に毎月多少の仕送りをしています。でもきっと、このお金も貯金してくれてて、子供が困ったときの為に置いているんだろうなぁってことは簡単に察せます。

嬉しいような、悔しいような、そんな気持ちです。

小さい頃はよく病気にかかって入院したり、ひきつけをおこして救急病棟に夜中自転車で走ってくれたり、小学生当時は野球の練習の為に、毎週末弁当を作ってくれたり、お金もないのに、野球の遠征で台湾への費用を出してくれたり、中学生時代は毎日弁当作ってくれたり、いろんなところに頭を下げさせてしまったり、本当に迷惑しかかけてこなかった自分。

父親が転勤でずっと不在にも関わらず、本当に精一杯育ててくれたなと思います。本当に、母親は偉大です。そのおかげで、今では少しマシな人間になれた気がします。

それでもまだ何一つ恩返しもできず、頻繁に顔を見せることもできない自分。

少しずつ、父親や母親の背中が小さくなっていると感じる日々。どうやって今までの分の恩返しをすればいいんだろうか。

人並み以上に苦労ばかりだった母親。残りの人生は少しでも長く元気に、そして楽しく過ごしてほしいなと思います。

恩返しをしたいと思った時には親がいないもんだぞ。とはよく言われるもので、そうならないよう、近々実家に帰っておいしいお肉でも持って帰りたいと思います。

おかん、いつもありがとう。